エンピツ記念日とはどんな日?いつ?由来や意味は?雑学も紹介!

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【この記事のまとめ】

●5月2日は「エンピツ記念日」

●エンピツ記念日の由来は1887年(明治20年)5月2日に真崎鉛筆製造所(現在の三菱鉛筆の前身)が設立された事

●その後に真崎鉛筆製造所は日本における鉛筆の普及に大きく貢献した

この記事では、その他、
鉛筆が日本で広く普及した経緯や、
エンピツ記念日に行われるイベント、
関連する雑学なども紹介しています。

 

当たり前の毎日でも、
それは何かの記念日であったりします。

そんな記念日を知ることで、
当たり前の毎日も、
大切なものに思えてきますね。

 

5月2日は「エンピツ記念日」
ということをご存知でしょうか?

5月2日はゴールデンウィークの真っ最中ということで、
エンピツ記念日だということを、
知っている人は少ないと思います。

 

しかし、そもそもどうして、
5月2日はえんぴつ記念日なのでしょうか?

語呂合わせでもないみたいですし、
その由来も気になりますね。

 

ここではエンピツ記念日の由来やその意味、
また、関連する雑学などを
説明していきたいと思います。

エンピツ記念日とはどんな日?いつ?由来や意味は?何かイベントなどは行われる?

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5月2日はエンピツ記念日です。

まずはその由来について、
紹介していきます。

 

エンピツ記念日の由来は、
1887年(明治20年)5月2日に、

今の三菱鉛筆の前身である、
真崎鉛筆製造所が設立された事です。

 

実は、鉛筆自体は、
江戸時代にもありました。

しかし、当時は鉛筆は高価なもので、
当然、庶民の間で使われることはなく、
鉛筆が広く普及したのは明治時代以降です。

 

そして、鉛筆を広く普及させる事に、
大きく貢献したのが、
真崎鉛筆製造所が鉛筆の製造を行った事でした。

 

真崎鉛筆製造所の所長であった、
真崎仁六は1878年に開催されたパリ万博で、
鉛筆に大変興味を持ちました、

そして、その技術を日本に持ち帰り、
日本で鉛筆の製造を始めたことにより、
日本で鉛筆が広く普及するようになったのです。

 

5月2日は、鉛筆記念日ですが、
メーカーなどが大々的に、
イベントなどを開催することは無いようです。

 

ただ、日本鉛筆工業協同組合という組織はあるので、
GWや夏休みに、子供向けの鉛筆にまつわるイベントを
開催することがあるそうです。

もし近隣でイベントが開催されていたら、
鉛筆に興味がある方は、
参加してみても良いかもしれませんね。

エンピツに関する雑学を紹介!

エンピツのイメージ画像
それでは、えんぴつに関する雑学を
紹介していきます。
(えんぴつ記念日に関する雑学は、
 これといって見つからなかったので。)

 

鉛筆の濃さや芯の固さなどで、
HやBなどと書かれていますよね。

あれは一体どういう意味なのでしょうか?

 

鉛筆の「H」は「Hard」の頭文字で、
「B」は「Black」の頭文字になります。

このHの数字が高いほど、
鉛筆の芯が硬くなり、色は薄くなります。

逆にBの数値が高いほど、
芯は柔らかくなり、色が濃くなります。

 

また、またHとHBの間に、
「F」というものもあります。

この「F」は引き締まったという意味の
「Firm」という単語の頭文字になります。

 

そして、鉛筆の濃さや柔らかさの段階は、
日本の規格では、

濃い(柔らかい)方から、薄い(硬い)の順番で、

6B→5B→4B→3B→2B→B→HB→F→H→2H→3H→4H→5H→6H→7H→8H→9H

となっており、17段階あります。

 

一般人には、あまり関係無いものが多いですが、
芸術に関係する人など、こだわるのでしょう。

さいごに

鉛筆のイメージ画像
エンピツ記念日は、鉛筆の製造を始めた、
真崎鉛筆製造所が設立された日が由来でした。

この真崎鉛筆製造所が無ければ、
日本国内で鉛筆が普及するのは、
もっと遅かったのかもしれません。

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